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ストレイライト の変更点

*公式データ [#official]
**シナリオイベント等 [#event]
|実装日|イベント|h
|CENTER:80||c
|2022/06/30|[[if(!Straylight)]]|
|2021/10/31|Run 4 ???|
|2021/09/10|BGCOLOR(#ddddff):Landing Point編|
|2021/01/31|[[The Straylight]]|
|2020/07/10|BGCOLOR(#ddddff):G.R.A.D.編|
|2020/04/01|WorldEnd:BreakDown|
|2019/09/10|BGCOLOR(#ddddff):ファン感謝祭編|
|2019/06/30|[[Straylight.run()]]|
|2019/04/09|BGCOLOR(#ddddff):愛依 W.I.N.G.編|
|2019/04/05|BGCOLOR(#ddddff):冬優子 W.I.N.G.編|
|2019/04/01|BGCOLOR(#ddddff):あさひ W.I.N.G.編|
**その他の公式情報 [#official-other]
- 高山P「ストレイライトは、“賛否両論”をテーマにしているところがあるというか、シナリオ中でも、世界観の中で賛否あるような展開を入れています。例えば、イベントに出て他のアイドルの振り付けを真似してしまうとか。彼女たちは“わかりやすくいい子”ではない行動をすることもあって、今までの16人と比較した時に、そこからちょっとはみ出させてみようと思っていましたし、実際にさせています」(電撃オンライン「[[【シャニマス2周年記念】制作P・高山祐介さんがこの1年を振り返る&ノクチルについてもコメントあり>https://dengekionline.com/articles/31142/]]」)
*注釈 [#note]
// ゲーム内その他公式情報で固有名詞等が出されており、一意に特定可能な事項についての解説を書いてください

*考察 [#discussion]
// ゲーム内その他の公式情報からは特定できず、推測を含む事項はこちらに書いてください
- 下の『ニューロマンサー』とは別に、「stray light(迷光)」は光学用語でも、カメラなどの内部に発生する意図しない光の散乱を意味する。これが発生すると写真が不鮮明になったりする。
-- なのでキャッチフレーズにある「迷光を身に纏う」とは、実在(本来の性格)と非実在(アイドルとしてのキャラ付け)を行き来する3人において、本来の姿を隠す[[光学迷彩>PixivDic:光学迷彩]]みたいなものというイメージで良いと思う。

- SF小説『[[ニューロマンサー>Wikipedia:ニューロマンサー]]』からいくらか名前が取られたという説は、ファンの間では定説となっている。
-- 一周目P-SSRの衣装名「ネオンライトロマンサー」。
-- [[Straylight.run()]]は同作の第4部のタイトルとほぼ同じ。
-- 同作において「ストレイライト(迷光)」は最終決戦の場。
-- 同作には「冬寂(ウィンターミュート)」という人間の人格を乗っ取って手足にするAIが登場し、それが冬優子の名前の由来という説もある。
--- ちなみに冬優子1枚目のP-SSR[[【オ♡フ♡レ♡コ】黛冬優子]]コミュ4「静寂の頃はまだ遠く」では、冬優子の「それに、冬って……………………」に対し、返答の選択肢の一つに「なんだか寂しいよな」がある。それを選択すると冬優子は珍しく弱気っぽい言葉を漏らす。
-- なお、『ニューロマンサー』は読みづらいことで有名な小説で、文庫本1冊に収まる長さだが読むなら時間があるときにゆっくり読んだほうが良い。
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- ところで[[公式ユニット紹介文>https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/straylight/]]には「歌うのは真実か、狂気か」という一文があるが、光学関係だとこれもロラン・バルトの『[[明るい部屋]]』に似たような文言がある。
-- ロラン・バルト『明るい部屋』(花輪光訳)最後の48節「飼いならされた写真」には「狂気を取るか分別か? 『写真』はそのいずれをも選ぶことができる」とある。「分別」とは、写真はただの写真であって今そこにある現実ではないと受け入れること。「狂気」とはそれがまるでそこで生きている現実のように写真に取り込まれてしまうこと、とその箇所ではしている。
-- ロラン・バルト『明るい部屋』(花輪光訳)最後の48章「飼いならされた写真」には「狂気を取るか分別か? 『写真』はそのいずれをも選ぶことができる」とある。「分別」とは、写真はただの写真であって今そこにある現実ではないと受け入れること。「狂気」とはそれがまるでそこで生きている現実のように写真に取り込まれてしまうこと、とその箇所ではしている。
--- つまりバルトの文章においては、「分別」とはふゆが営業用のキャラ作りだと認めて見ることで、「狂気」とはふゆの実在を信じることになる。(冬優子の本来の性格は作中のファンからは不可視なので、ここでは考慮に入れていない)
-- また『明るい部屋』の同じ節の前の文ではバルトは、現代では映画のようなイメージのほうがむしろ現実よりも一般的になってしまって、まるで記号化されたイメージを通して現実を見るような逆転現象が起きているとも書いている。
--- 作中のファンはアイドルとしてのストレイライトしか知らないはずなので、これは彼女たちとも重なってくるところ。
--- 高山Pのコメントによるとストレイライトでは「わかりやすくいい子ではない」アイドルにしているとあるが、ストレイライト以降、ノクチル、シーズとさらに「実際にいそうだが一般的なアイドルのイメージの枠からはみ出しているキャラ」になっている。それもバルトの指摘と関係あるのかもしれない。
--- ちなみにバルトより先にハイデガーが「世界像の時代」で同じようなことを言っている。
*ファンコミュニティでの取り扱い [#fancom]

*コメント [#comments]
#pcomment

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